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挿入節 そうにゅうせつ parenthetic clause | ||||||||||||||||||||||
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——『女子妄想症候群(フェロモマニアシンドローム)』 1巻5ページ (イチハ/白泉社 花とゆめコミックス) |
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挿入節は、文の流れからかなりの長さで横道にそれて、ことばを割りこませるレトリックです。 |
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挿入節は、文章のメインの流れから横道にそれることになります。したがって、その部分は「余談」をあらわすことになります。 | |||||
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「挿入節」は文の途中で、そのメインの文脈とはズレた文を入れるものです。言いかえれば、本文の流れをいったん中断させるほど長く、ほかのことばを割り込ませるものだともいえます。 | |||||
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挿入節は、かなりの長さで文章を中断させるものです。なので、どこからどこまでが「挿入節」として中断されているのかをハッキリさせておく必要があります。この点については、下の![]() |
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例文は、『女子妄想症候群(フェロモマニアシンドローム)』1巻から。 主人公の名前は、「滸(ほとり)」。身長178センチ(♀)。 そして、その「滸(ほとり)」と第1話で付きあうことになったのが「炯至(けいし)」。身長155センチ(♂)。 「滸(ほとり)」と「炯至(けいし)」という、このカップル。たしかに、女である「滸(ほとり)」のほうが断然に背が高い。だけれども、それよりも大きなハードルがある。それは、 「炯至(けいし)」が、犯罪的にカワイイというところです。ようするに、女のコである「滸(ほとり)」よりも、少年である「炯至(けいし)」のほうが可愛らしいのです。そして、子供のころから炯至(けいし)」といっしょにいた「滸(ほとり)」は、「炯至(けいし)」のことが大好きになっています。というか、「滸(ほとり)」本人のことばを借りると、 異様に色欲の強いのです。 まあ。そのような事情で、「炯至(けいし)」が痴漢に遭ってしまったあたりを引用してきました。 上に書いたように、「炯至(けいし)」がカワイイ。 なので、痴漢にねらわれたのは、とうぜん「炯至(けいし)」です。女のコである「滸(ほとり)」は、制服がスカート。なのに、痴漢のオッサンは「炯至(けいし)」を襲う。まあようするに、誰が見ても「炯至(けいし)」は女のコっぽいのです。 で。痴漢をしたオッサンを捕まえた「滸(ほとり)」なのですが。そのときに、オッサンに浴びせかけたことば。それが、「挿入節」というわけです。つまり、 「私がずっとというところにある、( )で囲まれた長々としたフレーズ。これが、「挿入法」になっているというわけです。 さっきも書いたように。 「滸(ほとり)」は、「炯至(けいし)」のことが好きです。それも、“色欲的な意味で”「炯至(けいし)」が好きです。そういったわけで、女のコである「滸(ほとり)」は、男のコである「炯至(けいし)」のお尻を眺めていた。そんなときに、痴漢が「炯至(けいし)」のお尻を触ってきた。なので、痴漢だとすぐに分かった。といったわけです。 もちろん。 痴漢のオッサンに投げつけたのは、 私がずっとという、ただそれだけだと思われます。ですが「滸(ほとり)」のココロにある叫び。それは、 (炯至の尻眺めててといったものです。 この、なんとも“色欲的な意味で”羨望と嫉妬に満ちたココロの声。ここは、痴漢のオッサンに怒りをぶつけるという話のメインからは、ちょっと脱線をしています。そういったわけで、この部分は「挿入節」というレトリックだと言うことができます。 |
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この「挿入節」の系列には、次のようなレトリックがあります。 くわしくは、それぞれの項目を参照してください。 | |||
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この「挿入節」は、文の流れの途中で、ことばを割りこませるレトリックです。つまり、ある1つの文があるなかで、とつぜん寄り道をするような「節(フレーズ)」が入る。そして、すぐにもとの本文にもどる。それが、「挿入節」です。 なので、この「挿入節」を使うときには、ちょっと注意点があります。それは、「どこからどこまでが寄り道なのかということを、ハッキリさせる必要がある」ということです。 どういうことかというと。 ふつう「挿入節」で割りこむことになる「節(フレーズ)」というのは、かなり長い。そのため、文の流れが「本題」からズレているあいだに、長々とした「寄り道」がつくられることになる。と、ようするに「本題」から離れているフレーズが、かなりの量になる。 これは、文を読む(または聞く)側からすると、かなりの負担になります。その文で話題にしていることが、「本題」から「寄り道」に入る。そして、ずっと「寄り道」が続く。そのため、もう「本題」が何だったのかを忘れたころに、「本題」に戻る。こんなふうに、文のメインとなっているはずの話題が、あっちへいったり、こっちへいったり、といったことになるわけです。このことは、読み手(聞き手)のアタマを混乱させかねません。 こういったことを避けるためには。 このページで引用した例文のように、( )でくくる、といった方法があります。( )で囲まれたところは、「寄り道」だということがすぐに分かります。ですので、フラフラした文にはなりません。 もちろん。 上に書いたような( )記号だけではなく、「 」だとか〈 〉だとかで囲い込んだばあいでも、同じように混乱を避けることができます。また、そのようなカッコを使わずに、——という記号で挟みこんでもOKです。 もう1つの方法として。 かなり難しいテクニックになりますが、「挿入句の終わりを、句点(。)で区切る」、というパターンが考えられます。ほんとうのところは、「挿入句」よりも、むしろ「寄り道」が長い「挿入法」だとか「挿入節」のほうが、使いやすいテクニックです。けれども文の流れによっては、「挿入句の終わりを、句点(。)で区切る」、といったこの方法を利用することもできます。 |
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『レトリック事典』は、「挿入法」を細かく分けることには否定的です。つまり、確かに伝統的なレトリックでは「挿入法」と「挿入句」とを区別していた。けれども、これを下位の種類に分類することが有意義かどうかは別である、と。 けれども、このサイトでは伝統的レトリックにしたがっておきます。つまり、いちおう「挿入法」と「挿入句」の区別をつくっておくことにします。 なお、念のために書いておくと。 『レトリック事典』は、「挿入法(parenthesis)」のことを「(自立)挿入語句」と呼んでいて、「挿入句(parembole)」のことを「(依存)挿入語句」と呼んでいます。 |
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それから。 『日本語レトリックの体系』によると、「折挿法」というレトリックがあります。この「折挿法」は、「文の途中で他の文章をはさみ、そして再びもとの文に戻って続ける」という趣旨の説明がされています。 ですので。 この「折挿法」は、「挿入法」か、もしくはそれに近いレトリックと位置づけることができます。 |
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挿入節 |
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断絶法、頓絶法、黙説法、疑惑法、懸延法、挿入法、挿入句、脱線法 | |||
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英語での解説でもかまわない。そんな人には、こちらがオススメです。 | |||
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コミックでは、厳密にいえば。 「けいし」という名前に使われている漢字は、「炯」ではなく「烔」という文字です。この「烔」は、第3水準の漢字です。「火へん」に「同」と書かれるものです。 この「烔」という文字。これは、私(サイト作成者)のマシンでは、
なので。 いまだに現役で使われているパソコンで「烔」は、ふつう表示できるとは思います。 ですが、このサイトでは「炯」の文字を使っておくことにします。 その理由は、以下の3つです。
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どうして、こんなにも「表現する文字」に注目するのかというと。
作者は、ワザと「烔」を使っているのではないか?と。なんとなく、そういった感じがするのです。 なぜ、そのような感じがするのかというと。 このコミックの描いている、「イチハ」さん。この人の作品には、数多くの「難しい漢字」が出てきます。言いかえれば「イチハ」さんは、作品のなかでレベルが高い漢字をドンドン使っているのです。とすれば、こんなにも漢字を使いこなせる漫画家さんが、ミスで「炯至」にしてしまった何てことない。と、そう思うのです。 その証拠として。 引用したページを、ちょっと見ても
それを考えると。作者がミスで、「烔至」ではなく「炯至(けいし)」を使ってしまったとは考えにくいのです。 なお。 「ウィキペディア」での、『女子妄想性症候群』。ここでは「炯至」と「烔至」の2通りのパターンが、どちらとも使われています。つまり、「炯至」という漢字を使っていることもあるし、「烔至」という文字で書かれている部分もある。(2008年5月現在) …結局。「烔至」であっても「炯至(けいし)」であっても、気にする必要はない。ということなのでしょう。 |
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