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二詞一意 にしいちい hendiadys | |||||||||||||||
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——『半分の月がのぼる空』2巻160ページ (橋本紡[原作]・B.たろう[作画] /メディアワークス DENGEKI COMICS) |
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二詞一意は、本来ならば「同じようなモノならべる」ための助詞「と」を、「どちらかを修飾する」ために使う。そんな、ちょっと分かりづらいレトリックです。 | |||||
分かりづらいので。もうすこし、説明をつづけることにします。 助詞「と」というヤツは、正しい文法にしたがえば。 同じレベルにある対等なものを、いくつかならべるために使われるものです。
これが、「と」という助詞のいつもの使いかたのはずなのですが。 ときどき、助詞「と」のヘンな使いかたとして、 どちらかのことばが、もう一方のことばを修飾・形容しているということがあります。とても数少ないのですが、ごくまれに、そのように助詞「と」を使うことがあります。 これを、レトリック用語で「二詞一意」とか「重言法」とか呼びます。 とりあえず、【例文を見る】のほうで「例」を確認してみてください。 |
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「二詞一意」では、「修飾している」ほうの言葉が本来の意味を失っていることがあります。そしてそんなふうに本来の意味を失ったときには、単に「強める」といった効果しかあらわさないという結果となります。このようなばあいの「二詞一意」は、「強調」の効果をあげているということができます。 | |||||
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「二詞一意」は見た目は、2つのことばを助詞「と」でつなげることになります。英語なら、接続詞〈and〉ということになります。 | |||||
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ですが意味としては、「二詞一意」は修飾関係にあります。つまり、どちらか一方の言葉が、他方の言葉を附随した関係になっているのが「二詞一意」です。そのため全体の意味として、単一の事柄をあらわしていることになります。 | |||||
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じつは、この「二詞一意」。日本語では、ほとんど見かけません。たぶん「韻」の踏みかたが、日本語では「音数律」が中心になるためではないかと、個人的に考えています。 | |||||
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そして右にあるのは、原作となる小説版の『半分の月がのぼる空』3巻です。 縦書きで文字が書いてあるのが、画像です。画像っぽくないけど、小説をスキャンしたjpg画像となっています。 主人公は、裕一。彼は急性肝炎で病院に入院中に、ひとりの少女と出会う。それが、里香。裕一と里香は、しだいに仲良くなっていく。 けれども。里香は、重い心臓病を患っていた。そのため、命のかかった手術をすることを迫られていた。 そんな中で裕一は、里香からひとつ頼まれごとをする。それは、カメラで里香の写真を撮ってほしいというもの。そこで裕一は、ナイショで病院を抜け出して、自宅から(亡くなった父の遺品である)カメラを持ってくる。 そのカメラを使って里香を撮影しているのが、引用したシーン。 僕と里香の 残されたというところが、「二詞一意」だというわけです。 この表現はどうしても、 時間と至福を切り取るというところが落ち着かない。むしろ、 至福の時間を切り取るという言いまわしならば、ピッタリ当てはまる。もしも、「至福」という語が「時間」を修飾している関係にあるとするのなら。それは、「二詞一意」に当てはまるものです。なぜなら、意味としては「至福」ということばを修飾している「時間」というヤツが、助詞「と」によって結びついているのだから。 あと、つけ足し。 この「時間と至福」というのは、単なる「誤植」ではないかという気もした。なので、原作でも「時間と至福」という表現が使われているかどうかも、いちおう確認した。右上の2つが、小説版の同じ部分になります。 じつは、小説版には3つの種類があります。電撃文庫版・単行本版・文春文庫版の3つです。右上では、電撃文庫版と、単行本版を引用しておきました。 電撃文庫版と単行本版とのいちばんの違いは、話すシーンでの言葉づかいです。単行本版は、伊勢が舞台なので、伊勢弁が使われています。 |
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なんか。この「二詞一意」というページを、存在から揺るがすようなテーマですが。 そもそも、日本語には「二詞一意」があるのかということそれ自体が問題となります。というのは、日本語で助詞「と」をこのように「二詞一意」らしく使っているような例が、あまりに少ないのです。 『日本語レトリックの体系』には、例文として 「名誉ある死」を「名誉と死」とするといったものが、あがっています。そもそも、この表現が翻訳にもとづいたものだということを考えに入れておくとしても。それなりに使われることがあるような日本語の例としては、このへんが限界だと思われます。 (「名誉と死=death and honor」。そしてこの意味するところが、「名誉ある死=honorable death」だということです。) というわけで。とにかく「二詞一意」は、日本語では非常に少ないレトリック表現です。 |
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と。あまりにも日本語の例文をさがすのが、たいへんなので。英語の例文を出してみます。 いちばんよく見かける例は、 bread and butterというフレーズです。これはべつに、「パンとバターがならんで置いてある」ということではありません。そうではなくて、「バターをぬってあるパン」という意味なのです。 つまり。パンとバターを対等にならべるために、「and」ということばが使われているわけではないのです。あくまで、メインは「パン」であって、それを修飾・形容しているのが「バター」だということなのです。だからこのフレーズは、意味としては、 bread with butterといったほうが近いです。 そういったわけで、この「and」の使いかたが「二詞一意」にあてはまるということになります。 |
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と書いてみたわけなのですが。 ほんとうは。英語にも、「二詞一意」にあたるような表現は少ししかありません。 「二詞一意」が多いのは、古代ギリシャ語とかラテン語とかです。なので、『ガリア戦記』をラテン語で読むのでとかいった特別な事情がないかぎり。この「二詞一意」を目にすることは、めったにありません。 |
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二詞一意 | |||
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重言法 | |||
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二語一想 |
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破格構文、文体落差、![]() |
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とくに、くわしい説明があるというわけではないのですが。日本語にある「〜してくれる」「〜してあげる」といったような「授与動詞」が、「二詞一意」に似ているといったことを書いてあったりする。他の本では見かけない説明なので、ちょっと気にとめています。 | |||
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「時間と至福を切り取る」という文をはじめて読んだとき。少なくとも私(サイト作成者)は、この文を「二詞一意」だと考えました。そしてそのように考えたのには、つぎのような理由があるのだと思います。 「写真が時間を切り取る」とか「カメラが時間を切り取る」といった言いまわしは、ありふれている。そして、「至福の時間」というフレーズも、またありふれている。 ところが、「時間と至福を切り取る」という表現。これは、めったに見るものではない。 そこで。この「時間と至福を切り取る」なる文を読んだとき。 この2つの決まり文句に適合するように、アタマの中で(瞬時に)理解しようとする。そうしたときに、 至福の時間を切り取るという言いまわしが、「もともとあったのではないか」と考えたのではないだろうか。 つまり、 至福の時間を切り取るから、 時間と至福を切り取るに変わったのだと考えたのではないだろうか。 もし、そうだとするならば。このように、 時間と至福を切り取るというフレーズへと移り変わったことを、うまく説明することができるようにするには。これを、「二詞一意」だというふうに考えることだ。 だから、この文は「二詞一意」だと思ったのではないかと考えたのではないかと思うのです。 |
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なにを、こまごまと書いているのかというと。 この文章を「くびき語法」の一種だとは、考えにくい。そのことが、いいたいのです。もしもこの文を「くびき語法」だと考えると、 僕と里香の 残されたという文が、もともとあったと考えることになります。つまり「切り取る」という1つの語が、「時間」と「至福」という2つの語を修飾している。そのように考えることができればを「くびき語法」の一種だけれども、そのようには考えにくいということがいいたいのです。 なぜか。それは、 至福を切り取るという言いまわしが、「意味を理解するのができない」ほどにマトはずれなものになってしまうからです。 たとえば、googleで「至福を切り取る」を検索する。そうしても、1件もヒットしません(2009年6月現在)。まあ私(サイト作成者)が、このページに「至福を切り取る」というフレーズを何回も使ったため、近いうちにこのサイトがgoogle検索でヒットするようになるでしょうけれども。 それは、ともかく。1件もヒットしない表現というのは、ほとんど目にしないようなものです。そのようなものが「もともとあった」とは、ふつう考えません。そういったわけで、「くびき語法」の一種ではないだろうという結論にたどりつくわけです。 ですので。 これも、「二詞一意」の例としてあげておきます。例としてあげるほど、典型的な「二詞一意」であるかどうかはナゾですが。 |
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コミックのタイトルで、「二詞一意」じゃないかというかんじがするものが1つあります。 それは、
たしかに。「彼女」という単語と「ぼく」という単語は、助詞「と」で結びつけても問題ありません。「彼女とぼく」という言いかたは、いたってごくふつうです。 しかし。「死」というのは、かなりタイプのちがう単語です。ほかの「彼女」「ぼく」という2つの単語とならべるのは、あたりまえのモノとは言いづらい。 つまり、
ただ、問題は。私(サイト作成者)が、この『死と彼女とぼく』を読んだことがないというところです。 …読んだこともないコミックのタイトルについて、サイト上であれこれ書くとは。神経が図太いというか、おそれ知らずというか…。 |
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いままで、ずっと、 「二詞一意」のことを、「名詞+and+名詞」でもって「形容詞+名詞」をあらわす、と。そのように書いてきました。 ですが。 じつは、「二詞一意」にはもう1つのパターンがあります。 それは、 「形容詞+形容詞」でもって、「副詞+形容詞」をあわらすというものです。 さて。ここで例文となるのが、“cool and spicy”というフレーズ。『しゅごキャラ!』(PEACH-PIT/講談社 コミックスなかよし)で何度か使われるセリフのようです。 「ようです。」と書いたのは。またもや、このコミックを読んだことがないからなのですが…。 まあ、そのあたりは無視していただくことにして。本題にはいると。 まず、第1として。 “cool”と“spicy”が、どちらも同じく「形容詞」にあたるということを確かめます。 つぎに。 “cool”と“spicy”とく2つの単語が、“and”で結びつけられている必要があります。この例文では、見てのとおり“and”によって2つが結ばれています。 なので、このばあい。 “cool”については、ただ単に、“spicy”を強めているにすぎないと考えることができる。と、そのように言うことができます。 つまりこの例文では、“cool”という単語が“very”くらいの強調にすぎない。そのように考えられるのです。 言いかえると。 “very spicy”といった程度の意味だということです。そのように考えれば、「二詞一意」だといえることになります。 ま。たしかに、「二詞一意」ではなく、文字通り“ccol”と“spisy”ならんでいると受けとっても、問題ないのだけれど。 |
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