「カテゴリをまとめたページを作りたい」というサイトでの事情から、便宜上「ダブルミーニング」というページを作りました。これは、このサイト独自で立てた取りあえずのカテゴリだということを、はじめに書いておきます。
さて。特別のこれから先に書いていくことをまとめると、つぎのようになります-
1つの「文」が、2つの意味に読みとれるタイプ
-
1つの「単語」が、2つの意味に読みとれるタイプ
- 1つの語が、本来の意味と比喩的な意味とを兼ねているパターン
- 一方にしか結びつかないような語が、2つ以上のことばに結びついている
- 「具体的なことば」と「抽象的なことば」とを、1つの語で結びつけているタイプ
-
1つの「音」が、2つの意味に読みとれるタイプ
- 「重義法」とか「掛けことば」と呼ばれるタイプ
- 「掛詞」、「縁語」、「秀句(法)」と呼ばれるタイプ
- 「しゃれ」とかいった、「ことば遊び」と呼ばれるパターン
- 「折句」、「沓冠」と呼ばれるパターン
- 「アクロスティック」、「ダブル・アクロスティック」と呼ばれるパターン
- 「語路合わせ」「語路法」呼ばれるパターン
- 「数装法」「数え歌」と呼ばれるパターン
- その他のパターン
このサイトでは。「ダブルミーニング」と呼んでいるモノを、さらに3つに分けて解説してみます。
まあ。上から順に「大→中→小」といってもいいでしょう。つぎから、くわしく書いていきます
1つの「文」が、2つの意味に読みとれるタイプ(=広義の「異義兼用」「兼用法」)
この例としては。引用した『ハヤテのごとく!』が、ピッタリ当てはまります。
たとえば。
-
ハヤテ「
僕と…付き合ってくれないか。
」
- 「
君が欲しいんだ。
」
- (話し手:ハヤテ)
- お前は、人質だ。
- 身代金が支払われるまで、おとなしく付いてきてもらうぞ。
- (聞き手:ナギ)
- 僕と、恋人どうしになってくれないか。
- 君のことは、僕の手のもとにどうしても置いておきたいんだ。
と。
まあ「誤解」をいうのは、どうしようもないもので。なんで、こんな言いまわしをしたのか。そのことばを、なんでこのように理解したのか。それは、大いなるナゾです。『ハヤテのごとく!』に七不思議があるとしたら。絶対に、1つとして加えられることになるでしょう。
あとの七不思議は。「タマ」が日本語をしゃべることとか、てきとうに考えてください。
とにかく、レトリックとしては。
このハヤテが言ったセリフ。つまり、
- 「僕と…付き合ってくれないか。」
- 「君が欲しいんだ。」
という文。このなかに、まずハヤテの側が思っていた(本来の)意味のほうが1通り。そして、それを聞いたナギのほうが受けとった(まあ誤解した)意味というのが、もう1通り。なので、つごう2通りの読み取りかたがある。
言いかえると。たしかに言いまわしとしては、1パターンしかない。だけれどもハヤテ(話し手)の考えと、ナギ(聞き手)の聞きかたとで。2パターンあることになる。それはつまり、けっきょく「2つ以上のモノゴトを、同時にあらわす」ことになっている。
だから、「ダブルミーニング」だというわけです。
1つの「単語」が、2つの意味に読みとれるタイプ(=「くびき語法」、狭義の「異義兼用」「兼用法」)
これは。
たしかに、書いたある単語は「1つだけ」しかない。けれども近くに書いてある、ほかのことばとの関係で考えると。その「1つだけ」しかない単語が、「2通りのことをあらわす」ことができてしまう。そういったものです。
くわしい説明については、「
くびき語法
」のページに書いてあります。ここでは、ざっとカンタンに眺めてみることにします。
- 1つの語が、本来の意味と比喩的な意味とを兼ねているパターン
1つの語が、本来の意味と比喩的な意味とを兼ねているパターン(=「異義兼用・兼用法・双叙法・一筆双叙法」)
そちらにあげてある文は、
「きみの心と唇を/出来るものなら奪ってみたい」
というものです(『スレイヤーズ(新装版)』30ページ)
上にあげた2つと同じように、これも結びつきを分解してみると。
(出来るものなら) 「きみの心を奪ってみたい」+「きみの唇を奪ってみたい」
となります。
この言いまわしで、どこが問題になるのかというと。「心を奪う」といったときの「奪う」と、「唇を奪う」のほうの「奪う」。この2つの「奪う」の意味が、大きくかけ離れているというところです。そして、さらに書くと。しかも「大きくかけ離れているのにもかかわらず、日本語としておかしくはない」というところ。ここが、最大のポイントです。
このようになるの原因。それは、「唇を奪う」というフレーズが、かなり決まった場合にしか使われないようなものだというところにあります。
(⇒くわしくは「
兼用法
」も、あわせてご覧ください。)
- 一方にしか結びつかないような語が、2つ以上のことばに結びついている
一方にしか結びつかないような語が、2つ以上のことばに結びついている(=「破格くびき・兼用法」)
「
破格くびき
」のページはこんな例があがっています。
- 「へんに技巧に走った文章より
- 普段書かない人が一生懸命書いた
- 真実の言葉の方が」
- 「胸にもおなかにも染みるものよ」
『“文学少女”と死にたがりの道化(ピエロ)』からです。
「胸に染みる」というのは、よくある表現です。けれども、「おなかに染みる」という言いまわしはかなりイレギュラーです。
このようなものは。「くびき語法」のなかでも、とくに「破格くびき」と呼ぶことがあります。
(⇒くわしくは「
破格くびき
」をご覧ください。)
- 「具体的なことば」と「抽象的なことば」とを、1つの語で結びつけているタイプ
「具体的なことば」と「抽象的なことば」とを、1つの語で結びつけているタイプ(=「異質連立・両義法」)
マンガでは、いまのところ例が見あたりません。なので小説の、菅原克己『マキシム』から。
「ぼくは持っていた。汚れたレインコートと、夢を」
これも因数分解のように割りふってみると。
(ぼくは汚れた)「レインコートを持っていた。夢を持っていた。」
「異質連立」というのは。かたや「レインコート」のような「具体的なモノ」。はんたいに「夢」といった「抽象的なモノ」。こういった2つを結びつけているばあい。この「くびき語法」を、とくに「異質連立」と呼ぶことがあります。
(⇒くわしくは「異質連立」も、あわせてご覧ください。と書きたいけれど未作成です。)
このパターンには、いろいろなものがあります。音が同じであることを利用して、そこから「2つ以上のイメージを浮き上がらせる」というもの。それが、このカテゴリに当てはまります。
わりとよく知られていることとして。日本語には、「同音異義語」が数おおくあります。つまり、同じ音をもつ単語が山のようにあるというわけです。そのため、「1つの音」でもって「2つ以上のモノゴトをあらわす」ということがカンタンにできます。
したがいまして、日本語では。このパターンに属するレトリックが、いくつも出てきます。あまりにたくさんあるので、ほんの概略だけにしておきます。なお、ここに含まれるレトリック用語は「
同時的音喩
」とよばれるグループと、ほとんど同じモノです。
(⇒くわしくは「
同時的音喩
」も、あわせてご覧ください。)
くわしいことについては、「
重義法
」を参照ください。なお、このレトリックについては「掛けことば」という呼びかたをすることもあります。ただし、和歌とかで出てくる「掛詞(懸詞)」とは、とりあえず違うものです。
リンク先のページの例を書いておくと。
『School Rumble』(スクールランブル)
という音の響きから。
「scramble」(スクランブル)
といった別のことばが、イメージとして思い浮かぶことになる。これが「
重義法
」です。
(⇒くわしくは「
重義法
」も、あわせてご覧ください。)
- 「掛詞」、「縁語」、「秀句(法)」と呼ばれるタイプ
これは。和歌でよく見かけるヤツです。「
掛詞
」を、ご覧ください。
山里は
冬はさびしさ まさりける
人目も草も
かれ
ぬと思へば
という文章が、リンク先に書いてあるはずです。
なお「秀句(法)」というのは。「
掛詞
」や「縁語」のことをいいます。とくに、「
掛詞
」や「縁語」を巧みに使った作品をさすこともあります。
(⇒くわしくは「
掛詞
」「縁語」「秀句」も、あわせてご覧ください。)
- 「しゃれ」とかいった、「ことば遊び」と呼ばれるパターン
「1つのことばの中から、2つの意味が読みとれる」もの。そして、そこにおもしろさがあるもの。「
しゃれ
」というのは、そういったものをいいます。より細かいことについては、「
しゃれ
」のページをご覧ください。
ですが。この「
しゃれ
」のようなものを指ししめすレトリック用語は、いくつかあります。そして、それぞれが微妙に違っています。カンタンにふれておくと、
「秀句」
- :和歌の「掛詞」や「縁語」を、ことば遊びにまで使ったもの
「地口」
- :江戸時代に、「秀句」が発展したもの
「口合」
- :江戸時代に、「秀句」が発展したもの
「しゃれ」
- :現代のことば遊び。「ダジャレ」に比べると、どちらかというと「キャッチコピーになるような、マジメな部分もある」
- 「『駄』が付いていないので、できばえがよい」--といったニュアンスがある
- ⇒「
しゃれ
」
「ダジャレ」
- :これも現代のことば遊び。「しゃれ」との差を考えてみると、
- 「マジメなモノは、ふつうダジャレとは呼ばない」
- 「『駄』が付いているので、できの悪いダメなしゃれ」
- --といったニュアンスがある
といった区分けが、されることもあります。ですが、これは参考する本によってかなり違いが出ています。
ですので。参考される本が、どのレトリックを指してそのレトリック用語を使っているのかについては。ちょっと注意しておく必要があります。
(⇒くわしくは「
しゃれ
」「秀句」「地口」「口合」「ダジャレ」も、あわせてご覧ください。)
「折句」とか「沓冠」とかいったもの。これは、和歌を作るときのテクニックです。
「かきつばた」の和歌を思い出すヒト。あなたは、学校で古典の授業をマジメに受けていました。
まあどっちにしろ。コミックスで「折句」とか「沓冠」とかは出てきそうにありません。なので、説明は省略します。
(⇒くわしくは「折句」「沓冠」も、あわせてご覧ください。)
- 「アクロスティック」、「ダブル・アクロスティック」と呼ばれるパターン
「
アクロスティック
」というのは。まあ、「あいうえお作文」のようなものです。決まった「ひらがな1文字」から始まる、気の利いたセリフを考え出すといったぐあいになります。これは、和歌でいう「折句」にあたります。
くわしくは「
アクロスティック
」をご覧ください。
避難訓練で使うはずの、「お・か・し」の3文字。これが、不思議な標語になっていきます。(『せんせいのお時間』3巻122ページ)
また。和歌のほうで、それぞれの節の「最初」だけではなく「最後」にまでも、ことばをよみこんであるもの。つまり「沓冠」と呼ばれるもの。こちらは、「ダブル・アクロスティック」というのが、ほぼ当てはまります。
なお。
「
アルファベットアクロスティック
」という、変わりダネもあります。これは、節の最初に折りこんであることばが「あ・い・う・え・お…」といったものになっています。もちろんアメリカやイギリスなら、「A・B・C…」というスペルが最初に来るように、折り込まれることになります。
(⇒くわしくは「
アクロスティック
」「
アルファベットアクロスティック
」「
メソスティック
」も、あわせてご覧ください。)
これも。くわしくは「
語路合わせ
」のページを、見てみて下さい。
カンタンに書いておくと。たとえば、「1192作ろう鎌倉幕府」だとしたら。
アタマの中に、
「なにかイイ国ができた」→鎌倉幕府
「1192に作られた」→できたのは1192年
というように。表面の、たんなる日本語の意味として1つのパターン。そのウラに隠れている、語路合わせが意味しているモノが、もう1パターン。なので、これもやっぱり「1つの音」でもって「2つ以上のモノゴトをあらわす」ということができています。
(⇒くわしくは「
語路合わせ
」も、あわせてご覧ください。)
これは。数字を順番にかぞえ読みこみながら、そのうしろに関係のあることを続ける。そういったものですが、この説明ではよくわからないと思いますので「
数装法
」のページをご覧ください。
この「ダブルミーニング」との関わりでいえば。「1・2・3…」と続く数字が読みとれることで、「1つの意味」をつかむことができる。そして、それぞれ数字のうしろに続いている文やことばとのあいだで、「もう1つの意味」を理解することができる。
そんなわけで。
出てきた数字が「2つ以上のモノゴトを、同時にあらわす」ということが、できています。なので「ダブルミーニング」といえます。
(⇒くわしくは「
数装法
」「数え歌」も、あわせてご覧ください。)
この「ダブルミーニング」のページでは。あくまで「2つの意味が、ハッキリと違ったものとして受けとることができるばあい」に限って、分類をしてみました。
ですが、この範囲を超えて。
「1つのことば」から、片方は「メインとなる明らかな意味」が受けとれる。でも、もう一方は「きっちりとした意味を示しているものではない」という。そういった、不完全だけれども「二重の意味」を持っているというもの
そういったものは。さらに、たくさんあります。
あまりに数が多いので。レトリック用語の名前をあげておくだけに、とどめておきます。
交叙法
:「
交叙法
」のページ
縁装法
:(作成中なので、まだありません)
押韻
:「
押韻
」のページ
頭韻
:「
頭韻
」のページ
脚韻
:「
脚韻
」のページ
半音諧
:(作成中なので、まだありません)
地口
:「
地口
」のページ
打ち返し
:「
打ち返し
」のページ
字喩
:「
添義法
」のページ
なぞかけ
:「
なぞかけ
」のページ
アナグラム
:「
アナグラム
」のページ
回文
:「
回文
」のページ
ズラズラっと。難しそうな用語ばかりを、ならべてしまって申しわけないのですが。用語のくわしい中身については、それぞれのリンク先を参照して下さい。